『Four-Leaf Clover 2 -Girl’s Bossa Nova-』

キーンコーンカーンコーン……。
「それじゃあ今日はここまで!」
チャイムと同時に教科書を抱えた先生がそそくさと教室を出て行く。
先程と同様、堰を切ったようにざわつくクラスメートたち。
さて、どうしたものか。
「星南どうする~?」
同じことを考えたのだろう。後ろから背中をつんつんと突いてきたのは理枝だった。
「そのまま返すよ」
「ですよねー……」
「ここは、逆転の発想だよ。星南くん」
右隣の席から声をかけてきたのは有紗。
得意気な顔をしているが、こういう時の有紗は大抵外すのだ。
「見学する企業の宛てがないなら、起業すれば良いじゃない!」
一瞬で静まり返る教室。
「二点」
「起業は、難しいのでは……」
理枝とその右隣に座る柚子香がぼそりと呟いた。
「……私、何か不味いことでも言ったか?」
有紗は馬鹿だ。
とだけ言うと思考力や知識の欠片もない阿呆に思われるかもしれないので弁護しておくと、彼女はそこまで馬鹿ではない。理系科目と英語においてのみ。
「あのさ、有紗」
「な、何……?」
額に汗を浮かべる有紗。
「敢えてツッコまないけど、例えばどんな会社を作るの?」
「築野研究所」
「……それだと『築野さんが経営している研究所』なのか『月を研究している研究所』なのか、聞き違いが起きそう」
「うーん……言われてみれば」
「あーもうナシナシ! 現実的じゃない! 素直に候補を考えようよ」
理枝が間に入って、脱線した話が元に戻る。

ことの発端はついさっきの、六時限目の現社。
冬の連休を目前に控えたこの授業で、連休中の課題が通知された。
その内容は「企業の工場見学レポートを提出する」こと。
たった十六文字で説明できてしまうシンプルなこの課題の難点は、「見学する工場は自分たちで決めなければならない」こと。
つまり学校側が候補を用意してはくれない。それが厄介な所だ。
膨大な選択肢の中から一つを選び取るのは、私たち高校生に限らず、難しく感じることだろう。
ホームルームが終わった後も、私たち四人は教室の真ん中でああでもないこうでもないと相談を続けていた。
「あの……」
話がシックカノンに再脱線していたその時、柚子香がおもむろに挙手した。
「も、もしよろしければ、父上の会社はいかがでしょうか」
「…………」
再びの静寂の後。
「ええええっ!?」
三人で絶叫していた。
「い、い、良いの!? 中嶋自動車って、年に数回しか見学出来ないんだよね? 毎年凄い数の予約が入るって聞いたことあるけど……」
柚子香の父が社長を務める中嶋自動車は、総勢10万の従業員を抱える世界最大級の巨大企業だ。
理枝の言う通り、県内にある工場の見学は二年待ちという大盛況ぶり。
「自動車は予約の方が沢山いるので難しいと思いますが、子会社なら私でも融通が利く所があったはずです」
「いや、紹介してくれるだけでも助かるよ」
私たち三人じゃあ決まるまで何日かかることか……。
「そ、それでは詳細は後日メールで送ります。そ、それとっ!」
「……ん?」
普段からおっとりとした柚子香が柄にもなく大きな声を出した。
「と、と、当日は、制服で……来てください」
「なにゆえ制服?」
私の疑問を有紗が代弁する。
「いえ、そのー……偉い方も、いるので……」
「…………」
嫌な予感がしたのはきっと私だけではないだろう。
柚子香らしからぬ見え見えの嘘だった。

週末に柚子香からのメールが届いた。
私たちが見学するのは、隣の区にある中嶋グループの子会社、「中嶋化粧品」の工場となった。
バス停の時刻表や待ち合わせ場所の地図まで添付してくれたりと、相変わらず懇切丁寧な柚子香のメールだったのだが。
メールの最後に添えられた「必ず制服を着て来ること。」という一文だけが気がかりだった。

そして迎えた冬の連休三日目。
私たちは昼過ぎに近所の公園で落ち合うことになっていた。
柚子香にあれだけ念を押されたこともあって、全員制服だ。
目的地へは、公園の最寄り駅からバスで二十分、そこから歩くこと六分。
歩道に沿った長いフェンスと並木の切れ目がようやく現れ、詰所のある工場の入り口へと辿り着く。
「お待たせしました。ここが今日見学する中嶋化粧品の第二工場です」
舗装された敷地の奥、特徴という特徴が上階に張られたガラスと突き出したダクトくらいしかない、いかにもそれっぽい工場が鎮座していた。
ビルの高さで言うと六階建てくらいだろうか。
外見を見る限りでは新しい建物のようだ。
「大型の工場ですなあ」
首から提げた一眼レフをカシャカシャ鳴らしながら有紗が言った。
「この工場では、『マリア・ボサノヴァ』ブランドの化粧品を製造しています」
「『マリア・ボサノヴァ』? 理枝、聞いたことある?」
「ううん、初耳」
化粧品に詳しい理枝が知らないとなると、あそこでひっきりなしにシャッターを切っている有紗も知らないだろう。
「知らないのも無理はありません。『マリア・ボサノヴァ』は輸出向け製品のブランドですから」
「もう少し絞るかなあ……」
有紗が何か言っているが、そこに詰所の方から一人の男性が近づいてきた。
スーツ姿の若い男性だ。整った精悍な顔立ち。
というか……端的に言ってしまうとイケメンだ。
「お待ちしておりました、柚子香お嬢様、星南様、有紗様、理枝様」
はきはきとした聞き取りやすい声。声優さんか、もしくは俳優さん?
「おぅ、イケメン工場長……うっ」
カメラを構えようとする有紗の後ろ襟を掴む。
「知らない人を勝手に撮らない」
「構えただけだって」
「柚子香お嬢様ってことは、もしかして柚子香の?」
私と有紗がじゃれている間に、理枝が肝心の質問をしてくれていた。
「ええ。彼は中嶋家のバトラー、五条さんです」
「本日はよろしくお願いします」
「いえいえ、こちらこそよろしくお願いします」
五条さんの、お手本のように柔らかく綺麗な一礼に、私たちも恐縮する。
「それでは早速中へと参りましょうか」
「おっ、滅菌シャワーを浴びるのか? ウイルス系のパニック映画によくあるあの」
「いえ、見学用の通路がありますので、そこまではしませんよ」
ノリノリの有紗に苦笑で答える五条さん。
「残念。やってみたかったんだ」
五条さんに案内され私たちは工場内へ。
製造からパッケージングまで一通り見て回れるとのことだったが、これが距離的にも時間的にも存外に長かった。
一時間程経過した頃だろうか。
美容用か医療用か、ローション製造ラインに差し掛かった時のこと。
「うわ……」
とろとろのローションが専用の容器に、目にも止まらぬ速さで充填されていく。
有紗が喜びそうな光景だ。
「ローションは趣味じゃないんだけどねえ」
「そうなの? 意外」
あの有紗ならローションを振り撒きながら狂喜しそうなものだけど……。
「嫌いって訳じゃないけど、いまいち汚してる感が足りない気がするんだよねえ。例えば、紺系の制服に白いペイントを垂らすと、汚してるって感じするでしょ?」
「まあ、うん……そうだね」
彼女の中には既にWAM哲学が成熟しているようだった。
補色で汚せと言うことなのだろうか……。

全工程を見学することおよそ一時間半。
五条さんには外で待機してもらい、私たちは休憩室で一休みすることにした。
「ガラス越しも悪くないんだけどねえ、出来ればもう少し近くであのロボットたちの挙動を……」
「写真も動画も撮ってたじゃない」
「まあね~」
「中々面白かったね」
殆ど口を開くこともなく黙々とノートにペンを走らせていた理枝も満足気だ。
ただし柚子香だけは、工場に入った時から終始無言で、今も表情は曇っている。
体調でも悪いのかと思って声をかけようとした時、突然柚子香が立ち上がった。
「み、皆さん! お、お願いが、あるのですが……!」
「ど、どうしたの……?」
やはりここ最近柚子香の様子がおかしい。
柚子香が取り乱すことなんて今まで一度だってなかったのに。
「……持ってくるので、待っていてください!!」
パイプ椅子に足を取られながらも逃げ出すように休憩室から走り出す柚子香。
最後は絶叫に近かった。
「……ちょっと有紗」
有紗の耳元でそっと囁きかける。
「そんなに焦んなくても写真の一枚二枚ならあげるよ」
「そうじゃなくて。柚子香に何か唆さなかった?」
「まるで人を悪者のように……変なことは何も言ってないよ」
「本当に?」
「お待たせ、しましたぁ……!」
ドンドンと何かをドアにぶつけながら柚子香が休憩室に戻ってくる。
柚子香が持ってきたのは二つのバケツだった。
それをテーブルに置いた振動で、突っ伏していた有紗が飛び起きる。
「ワーオ、びっくり」
「すみません有紗さん」
「これは?」
バケツを満たす無色透明の液体。
脇から覗き込んだ有紗が目を凝らす。
「表面の固さを見るに、ローション……かな」
「ご名答です。この工場で使っている物を特別に取り寄せました」
「何の為に?」
理枝がローションに人差し指をぐにぐに突っ込みながら聞く。
聞くまでもなく、もう答えは見えている。
「柚子香、まさか……」
「皆さんに、折り入ってお願いがあります」
柚子香の顔は真剣そのものだ。
「ろ、ろ……」
彼女が誂えたこの環境。
そこから見える目的は唯一つ。
「このローションを、私にかけてくださいっ!」
なんかもう、開いた口が塞がらなかった。
唆されることはなくとも、きっと有紗と理枝に感化されてしまったのだろう。
私たちは、一体何なんだ。
「元々ここはローションで遊べるというコンセプトの部屋なのです。床にもクッション材が入ってます。気にせず、さあ!」
ブレザーをはだけて腕を大きく開く柚子香。
バケツを構えそれに応えたのは、
「良く言った柚子香、WAM仲間が増えるのは喜ぶべき事態だ! いくらでもかけてやろう!」
思った通り有紗だった。
「はいっ。どうぞ、お好きなタイミングで!」
私の周りには変態しか集まらないのだろうか。
いや、類は友を呼ぶ、か。
「そりゃあ!」
有紗が容赦なくローションをぶちまける。
一瞬にして粘液につつまれる柚子香。
「新鮮な感覚です……」
いくら本人が望んだとはいえ、名のある令嬢にローションをぶっかけるという背徳行為にある種の快感を覚えたのか、自分にもローションを浴びせる有紗。
「柚子香もWAM好きだったとは、なんという時計仕掛けか……! これで四人ともWAMフェチになってしまったな!」
「さあ、もっと!」
「そんな二人でズルいよ、私にも!」
光沢を放つローションまみれの柚子香の隣に理枝が並ぶ。
そういえば、理枝もローション好きだったような……。
「ホレホレ~これが欲しいんだろ、これが~」
おっさんモードに突入した有紗がこれでもかとローションを撒き散らす。
「はぁ~とても、とても良い気分です」
「やっぱりローションだよね~」
「なにこの百鬼夜行」
制服姿の女子高生たちが糸を引く粘液にまみれて歓喜する。凄まじい光景だ。
「なんだい星南くん、ホントは混ざりたいんだろう?」
小脇に抱えたバケツのローションをかき混ぜる有紗。
「私はWet派なんだって……ちょっそこはぁ!」
ブレザーを引っ張って背中からローションを流し込まれる。
「ひうっ……!」
ぬるついた液体が背中を流れる気持ち悪さ。
しかもちょっと冷たいし……。
スカートから溢れるローションが床に垂れ落ちる。
「このバカ有紗ああ!」
「うんうん、ローションも悪くないな。粘液まみれとは実にシュールな絵面じゃあないか」
「帰りのこと考えてる? バス乗るんだよ?」
「あー……下の、ベストは?」
「アウトでしょ。私以外は全身大変なことになってるし、私も背中やられたから」
「……まあ、何とかなるさ」
「…………」
あれだけはしゃいでいた柚子香が急に大人しくなる。
「あれ、どうしたの柚子香」
「私、不安なんです……」
メガネを取って髪留めを外す柚子香。
「私はWAMが好きです。本当はそれを、ひた隠しにしないでいたい。有紗さんのようにありたい……」
「柚子香……」
「でも、私は名の知れている人間です。フェチのような嗜好を忌み嫌う方からどう見られるか……怖いのです」
WAMはかなりコアなフェチだ。
現に私が高校で皆に出会うまで、WAMフェチの人を見たことはない。
無論、その特性上、フェチそのものに嫌悪感を覚える人もいる。
自分がWAMフェチだと公言するのは、勇気のいることだ。
「柚子香。我慢するのが辛いなら、さらけ出しちゃっても良いんじゃないかな」
あの時と同じ、いつもは聞けない有紗の優しい言葉。
「その方が楽だよ。確かに、嫌う人もいるかもしれない。でもだからといってそれを隠していたら、楽しみが減ることもあるかもしれないし」
全く、いつもそんな調子でいてくれれば助かるのに……。
まあ、それが有紗の良さでもあるんだけど。
「もし仮に嫌う人がいてもさ、私たちがいるじゃん。柚子香」
私も有紗も理枝も、皆同じ想いだ。
友達がWAMフェチだろうが関係ない。
「皆さん……」
今にも泣き出しそうな柚子香の肩に、理枝がそっと優しく触れる。
「さーて、ここまで汚れたらもう後戻りは出来ないよ~? 覚悟を決めてローションに身を委ねるのだ!」
有紗がもう一つのバケツを持ち上げて振り回す。
「待って有紗かけすぎだって!」
「あははは」
目元を赤くした柚子香から笑顔が溢れる。
一人から二人、二人から三人、三人から四人へ。
増えていく大切な仲間たち。
それがとても嬉しくて。
いつまでもこの日々が続くよう祈ると共に、今この瞬間を精一杯楽しもうと、そう思った。

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