『あの夜空に指を走らせて』

あの騒動から数ヶ月。
騒ぎの翌日にはもうスケジュールが立て直されて、面白いくらいにあっさり片付いてしまった。
私は藍那の関係者が裏で手を回したんじゃないかと思ってるけど、亜夜乃は気にし過ぎだと言う。
修学旅行の翌週には特別総会を開いて私は生徒会役員に復帰。
空いていた副会長の席に再び就くことになった。
とは言ったものの--。
「柚~、今日はどうする?」
「今日は4時半から部長会でしょ。5時からは委員会」
翌日。
「柚~、放課後はカラオケ行かない? それとも家、来る?」
「体育祭のタイムテーブルの調整が……」
翌日。
「柚はかわいいなぁ」
「ちょ、ちょっと……そんなにくっついたら暑いって」
隙さえあれば抱きついてきて、亜夜乃は私にデレデレ状態。
元々その気はあったけど以前より酷くなっていた。
そんなある日の放課後。
私は一通り仕事を終えて生徒会室でファイルの整理をしていた。
亜夜乃は隣に座ってニコニコしている。
「いつも思うんだけど亜夜乃は何か仕事ないの?」
仮にも亜夜乃は生徒会長だ。
私と同じくらいの仕事があるはずなのに、机に向かうどころか書類に目を通している姿も見ない。ずっと私に寄り添っている。
「仕事は千香と優羽と玲がやってるわ。柚が望めば柚の仕事もあの子たちに任せるけど?」
「流石に一年生が可哀想」
「いいの、これも全ては柚のためよ」
「はぁ……」
大丈夫だろうか、この生徒会長。
「亜夜乃、まだあの騒動は根本的に解決してないって分かってる? 茜林藍那だっていつの間にかいなくなってたし」
私たちが捕えたはずの藍那。彼女は警察が浴場を調べた時は既にいなくなっていた。
そしてマコと呼ばれていた謎の生徒の存在。
最悪の事態こそ免れたが、その首謀者はまだ捕まっていない。
「そうそう、それ」
「え?」
亜夜乃が何かを思い出したようにポケットから一枚の写真を取り出した。
「これ見て」
「……何これ?」
そこに写っていたのは一人の女子生徒だった。
あまり綺麗とは言えない地面に横になっている。後ろに写っているのは旧校舎の壁だろうか。
やけに高画質なのが気になるな……。
「これがどうしたの? 女の子が寝ているだけじゃない」
「彼女の服をよく見て」
女の子が着ているのは私も今着ている、この学校の冬の制服だ。
……胸からスカートにかけてテカっているように見える。
「これは……濡れてるね」
「それ、水じゃなくてローションらしいわ」
「あー、お気の毒に……」
慣れてない人にはローションは過酷すぎる。
「茜林藍那とあのマコっていう男子生徒の仕業みたい。これは偶然旧校舎に通りかかった写真部の女子が撮ってくれたのよ」
写真部……高画質なのは一眼レフでも使ったからか。
「仕業って、何があったの?」
「この倒れている女子生徒は新聞部の部長なんだけど、彼女が藍那と男子生徒の居場所を突き止めたみたい」
「本当に!?」
本当にそうだとしたら快挙だ。あんな危険人物を野放しにしておく訳にはいかない。
「ええ。でも彼女は自分が何をしてたのか『忘れちゃった』らしいわ」
忘れちゃった? どういうことだろう。
「覚えてないの? あいつらの居場所を?」
「本人はそう言ってたわ」
「…………」
「……柚?」
「亜夜乃……どうしてこんなに大事なことを早く話してくれなかったのよ……」
これは重要な情報だ。明日にでもすぐ調査の時間を設けたい。
「だって、今は柚が第一優先だし。こんなどこの馬の骨か知らない女子の話聞いたって……」
「亜夜乃、あんたねぇ」
「私はね、柚がいればそれでいいわ」
亜夜乃が長テーブルに腰をかけた途端、さっきから近くに置いてあった意味ありげなポリバケツが床に落ちた。
「………え、ぎゃあああ!!」
中身は液体だ。
う、この粘りはまさか……。
逆さまになったバケツから漏れ出した謎の液体は私の上履きにジャストミートした。
「ば、馬鹿! 何してんの!」
慌てて席を立ち上がって液体の広がった地帯を離れる。
「あー、柚と遊ぶために取っておいたのに。もったいないことしたわね」
「遊ぶ?」
「ローションよ。柚の頭の上からたっぷりかけてあげようと思ったのに」
「何考えてるの! っていうか、これどうするの!? シャワールームと違ってここは教室なのに!」
顧問の先生にバレたら非常に厄介だ。
「…………掃除する?」
「亜夜乃、最初から片付けする気なかったでしょ……」
「まぁまぁ気にしないで。拭くの手伝ってくれない? はい、雑巾」
しょうがないなと思いつつ、亜夜乃から受け取った雑巾でローションプールを丁寧に拭いていく。
かなり広範囲に広がってしまっていた。時間がかかるかもしれない。
「でも、これで亜夜乃から襲われるリスクがなくなったと思えば良いかな……きゃあっ!!」
ローションを拭き取る私のお尻を、亜夜乃が強く押した。
突き飛ばされるなんて予想だにしてなかった私の体は、一気に床のローションプールに飛び込んでしまう。
不快なぬめりを感じながら、体が硬直した。
「うう……亜夜乃おぉぉ」
もう私はローションと腐れ縁なんだろうか。
「だってもったいないでしょう? 使えるなら使いたいじゃない」
「だからってこんなの、誰かに見られたら……」
『楠柚、ローションと戯れる』なんて噂、二度とごめんだ。
「安心して柚。この時間は生徒会以外いないわ。鍵もかけてあるし。だから私も」
「ま、混ざるの!?」
私の隣に飛び込んでくる。
その表情はどこか輝いて見える。
「ちょっと濡れるの癖になっちゃって……」
「お、おおぅ。なんという変態……きゃああ!」
亜夜乃が顔にローションを塗ってくる。
冷たいぬるっとした感触。
「いいじゃない。これくらい」
「私も、人の趣味嗜好について否定はしないけどさ……」
「じゃあもう少し付き合ってくれない? 柚のかわいい所もっと見てみたい」
「……もう。ちょっとだけ、ね……」
かわいいだなんて……ちょこっと赤面してしまう。
「あ」
そんな時、亜夜乃がとぼけたような声を上げた。
「ん? どうしたの亜夜乃?」
「明日朝から全校集会なかったっけ?」
「……あったね」
それを悟った瞬間、諦めの笑顔が溢れた。
「柚、一つだけ気になることがあるから質問していいかなー?」
「いいよー」
「冬服って一晩で乾くかなぁ」
「あはははは、無理♪」

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