「やっぱり行っちゃうんだね……有紗」
国際線ターミナルのセキュリティゲート前。
私と理枝と柚子香の三人は、日本を発つ有紗の見送りに来ていた。
「うぅ……有紗さぁん…………」
嗚咽を上げ俯く柚子香を理枝がそっと抱き寄せる。
「ごめんね柚子香。どうしても、行かなくちゃいけないから」
一年ぶりに見た有紗の瞳。
その瞳は以前よりも澄んでいて、奥には赤い炎が灯っていた。
「それに、一生離ればなれになる訳じゃない。いつか帰ってくるよ。必ず」
「有紗。着いたら、連絡してよ。メールでいいから」
「分かってる。星南くんに連絡を入れない訳がないだろう? それに、友達も出来たのだよ。Hey, Alyssa!!」
セキュリティゲートの奥に立っていたスレンダーな女性が手を振ってみせた。
長いブロンドの髪の、美麗な人だった。
「向こうの大学で知り合ったんだ。アリッサって言うんだけど」
「……すごい、有紗にアリッサって、一文字違いじゃん」
……確かに。何の因果か理枝の言う通りだ。
「でしょ? 彼女もね、WAMフェチなのだよ」
「……やっぱり」
類は友を呼ぶ……。
「そうだ、これ渡しておかないと」
有紗がハンドバッグから小さな箱を取り出した。
小さな鍵のついたその箱を丁寧に解錠し、中身を取り出す。
「これは……?」
中から出てきたのは小さなロケットペンダントだった。
蓋にはアルファベットが刻印されている。
中に入っていたのは写真ではなく、四つ葉のクローバーだった。
「近くの公園で頑張って見つけたんだ。星南はこれね」
「あ、ありがとう」
私のには蓋に「Sena」の刻印が入っていた。
小さいけれどしっかりと四つの葉を広げたクローバーが封入されている。
「こっちは理枝ので……こっちが柚子香」
「わあ、ありがとう有紗」
「うぅ……ありがとう……ございます……ぐすっ。一生宝物にします」
理枝と柚子香のペンダントにも、それぞれ名前が刻まれている。
「そして私はこれ」
私たちはその場で一緒にペンダントをつけた。
「近くにいることは出来ないけど、これを見た時には私の事思い出してよ」
「うん。いってらっしゃい、有紗」
寂しくなっちゃうけど、これは有紗が望んだ事だ。
私たちにそれを止める事は出来ない。
「それじゃあ、行ってくる」
以前よりも少し伸びたセミロングの髪を翻し、有紗はセキュリティゲートの奥に消えていった。
有紗が渡米して五年の月日が流れ……。
社会人となった私たちは、忙しない日々を送っていた。
中嶋柚子香は東京の名門大学へ進学。経営学を学び、卒業後は中嶋グループ傘下の企業へ入社したが、将来的には独立を考えているという。
谷崎理枝は専門学校を出た後スポーツインストラクターとして、主に高齢者向けの運動指導をしている。
それにしても、本当に衝撃だった。
空港のセキュリティゲートを潜る後ろ姿の次に見た有紗が、大手ニュースサイトのトップを飾っていたのだから。
有紗とアリッサを筆頭とするスタートアップチームは新型のネットワーク関連技術の開発に成功し、必要な資金を調達出来たそうだ。
難しい事は分からないが、有紗たちの計画は順風満帆に進んでいるようだった。
そして私は……。
七年後。東京郊外。
「お~、今日も快晴かぁ」
住み慣れたアパートの廊下から空を仰いだ。
「……それじゃあ、行ってきます」
一人暮らしを始めてからもう三年が経つというのに、家を出る時はつい呟いてしまう。
鍵を閉めてから、キャリーケースを引いて階段に向かっていった。
「いや~今日は良い日だねぇ」
「どうしてですか?」
乗員乗客合わせて306人が搭乗可能な中型ジェット機「A-202」のコックピット内。私は離陸前に計器のチェックをしていた。
右に座っている白髪混じりの男性は副機長の阪口さんだ。
私より七つ程年上らしい。
「史上最年少の機長さんと一緒に飛べるとは、思ってなかったからね。今日はよろしく」
「こちらこそ」
手袋を外して軽く握手する。
その時、阪口さんが私の制服の袖に目をやった。
「……ユニークワッペン、付けてるのか」
「え、ええ」
ユニークワッペンとは、会社で使用が許可されているワッペンの事だ。個性を出すための制度らしいが、機長しかこれを付けることは出来ない。
「四つ葉のクローバー……意味としては幸福か」
「思い入れがあるんですよ。この印には」
「……そうかい」
私のワッペンの意匠は四つ葉のクローバーを参考にしている。
仕事中はペンダントを付けられないので、自分で作ってみたのだ。
「向こうに着いたら何か奢るよ。若い頃の娘を思い出してな」
「仕事中ですよ……」
「大丈夫だ。以前フライト前に副機長に告白した奴さんがいたが、お咎めなしだったらしい」
「え……」
「まあ、また藤澤機長にどやされたくないからな。止めとくよ」
「……お願いします」
私はどうやら自分で思っているよりも有名人らしい。
最年少女性機長という肩書きは確かに凄いのかもしれないが、正直に言ってしまうとあまり自覚はない。私はまだまだ勉強不足だ。
「少し時間があるので、中の見回りをしてきます」
「了解」
コックピットから出て準備中のキャビンアテンダントと一緒に機内のチェックをする。
「…………どんな奴さんかと思えば、真面目な機長さんじゃねえか」
誰もいないコックピットの中、阪口が呟いた。
私は、これで良かったのだろうか。
有紗たちと初めて出会った頃、将来の事なんて微塵も考えた事がなかった。
ただがむしゃらに走り続けて、やがてここに辿り着いた。辿り着いてしまった。
でもこれが、私が紡ぎ出した結果なのだろう。
今私はこうしてここにいる。
そして、きっと皆もどこかにいる。
思い出はやがて記憶となり、自分自身を形作っていく。
彼女たちの心のどこかにも、四つ葉のクローバーが葉を広げているのかもしれない。
To be continued in “Digital Cube”…