『Transparent Stimulator』

「あつ……」
片手でうちわを扇ぎながら冷房の温度を下げた。
居間のテーブルに広げたノートやプリントを一旦まとめてぐーっと伸びをすると、ちょうど買い物に行っていた妹が帰って来た。
「ただいまー、わあ涼しい」
「おかえり」
「まだそれやってんの?」
「む~、こんなの無理でしょ……」
最後に残った夏休みの課題『進学理由について』。
配布されたこのA4の紙を『進学理由』でびっしり埋めるのだけれど、一週間も前からやっているのに三行目で止まったままだった。
「適当で良いんだってそんなの」
買ってきたばかりのアイスを咥えた妹が他人事のように言う。まあ他人事なんだけど。
「その適当が難しいの」
字間を広げるという小技を使ってはいるがそれも際限がある。ネタがなくては。
「…………そういうのってさ、脳に刺激を与えると良いんだよ」
「刺激って?」
「気になる?」
「まあ……」
何かしらのヒントになるなら聞いておきたい。
こんなの仕上げるために二学期早々居残りなんて私は嫌だ。
「フッフッフ……じゃあ、教えてあげよう」
意味深な笑みを浮かべる妹に指示されるがまま、私たちは一緒に浴室へ。もちろん湯に浸かるためじゃない。
私は風呂椅子に腰かけ、妹は水の入ったバケツに手を入れて温度を確認している。
「やっぱりこの暑い時期には冷水だよ! 滝行っぽくて良いでしょ?」
「バケツ数杯分の水で滝行と言われても……それに、なんで制服着なきゃいけないの!?」
てっきりどこかへ出かけるのかと。
「それの方が緊張感出て良いじゃん?」
こんなんが効くのかなあ。うーん……やれるだけやってみるか?
「…………わかった。良いよ、静乃。いつでも」
姿勢を正してゆっくりと目を瞑る。本当に思いがけない発想が湧いてくるかもしれないと期待を抱いて。
「じゃあいくよ……よっ」
勢い良く頭から水がかけられ、一瞬ビクッとなる。
「冷たっ! 思ったより冷たいし……っていうかもう少しゆっくりかけてよ!」
「ごめんごめん。で、何か思い浮かんだ?」
「冷たくてそれどころじゃない……」
目の周りを拭って髪を整える。
撥水加工のおかげかスカートは無事だけど、ワイシャツはびしょ濡れだ。
「じゃあ次はぬるま湯で」
「ぁあああぁぁっ!」
有無を言わさず二回目が浴びせられる。
水を弾いていたスカートも、少しずつ染み込んで色が変わっていく。
「今度はどう?」
「………………」
どうと言われても……まあ刺激と言えば刺激だけど。
一切合切何も浮かんでこない。
「もう少し浴びとく?」
「いやもういい。何も浮かばないから」
結局妹に水をかけられて濡れただけだ。ちょっぴり残念。
「そういう時のためにね……ちゃんと奥の手を用意してあるんだよ」
妹は洗面所からもう一つのバケツを持ってきた。
最初はそれにも水が入ってるのかと思ったけど、何か違うとすぐに気が付いた。
波紋が立たないし、液面がぶるんぶるん揺れる。ゼリーみたいだ。
「えっちょっ、なに……そのヤバそうな液体」
「ローションだけど」
これが、ローション? なんか私の知ってるのと違う……。
試しに指を突っ込んでみると。
「うわぁ……すごいぬるぬるする」
液体のりをすごく濃くしたような感じだ。
「え、もしかして……これを?」
「頭からかけます」
「無理無理無理、流石にこれは被りたくない」
水と違って、これは人が被ったりして良いものじゃない気がする。
ぬるぬるして気持ち悪いし……。
「大丈夫だって、洗えば落ちるから。時間かかるけど」
そう言うと妹は、抵抗する私に無理やりバケツを傾けてローションを垂らしてきた。
「あっ、ちょっと、やめてっ! かけるなああっ!!」
私が避けたせいで、ローションがかかったのは頭じゃなく胸元だった。
ドロリとしたローションの塊がリボンに落ち、ワイシャツを汚していく……。
流れを止めようとローションの塊を手で掬って捨てる。糸を引く私の手とワイシャツ。
「うぅ……ぬるぬる……」
「うわぁ……おぞましい姿だね。テカってるしでろでろしてるし。あ、もうシャワーして良いよ。私は着替え、持ってくるから……」
バケツを置いて風呂場から後退りしようとする妹の腕を掴む。ローションで汚れた方の手で。
「……待ちなさい」
「ひっ! は、離してよお姉ちゃん……私ぬるぬる苦手なんだよぅ……」
それって、自分は嫌いなくせに私にかけて楽しんでたってこと?
許せない……。
「静乃、こっちに来なさい」
「待って、二人とも濡れるとまずいんだって!」
「これはお姉ちゃんからの制裁よ!」
妹を強引に浴室に引っ張り、余っていたローションを背中から服の中に流し込む。
「ひやぁうっ!」
あれ、これ結構楽しいかも。
「こうなったらもう何か思い付くまでやるわ!」
「ちょっと、勘弁してよお姉ちゃん……」
そうして私たちの戯れはしばらくの間続いた。

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